【透明な君と】少女「ねえ、私と一緒にお話してくれる?」男「・・・え?」。学校の校庭で話しかけられた男が、驚いた理由とは・・・そして、教師が話す少女の悲しすぎる秘密とは・・・・

小学校のチャイムが鳴る。

 

放課後の掃除と帰りの会が終わり、あとは家に向かうだけ。

 

僕(雨が降りそう……)

 

窓の向こうには、灰色の雲。

 

早く帰ろうと、ランドセルを背負って教室を出ようとしたその時……背中から声をかけられた。

 

女「ねえ僕ちゃん」

 

僕「ひ……っ!」

 

女「そんなにビックリしないでよ。声が裏返っちゃって、あははっ」

 

僕「い、いきなり声をかけるから……」

 

女「ふふっ、そんなに怖がりなら誘わない方がよかったかな~?」

 

僕「……何のこと?」

 

女「今から学校の中を探検しようって、友達と話していたの」

 

僕「探検って?」

 

女「あ、ただの探検じゃないよ。学校で噂されてる、七不思議を調べるんだよ!」

 

僕「七不思議……」

 

いくつか話は聞いた事がある。

 

が、僕はオカルトや怖い話が特別好きというわけではなかったので、話の内容までは覚えていない。

 

僕「ええっと、七不思議ってどんなのだっけ?」

 

女「んん~と……私が聞いたのは」

 

女「校庭にある二宮金次郎像の薪の数が変わるとか……」

 

「え~、私は薪の数を数えると呪われるって聞いたよ?」

 

「首の向きが変わるって聞いたけど……」

 

後ろで待機していたクラスメイトが、話に割って入ってきた。

 

「いや! 俺は金次郎の像が夜中に走り出すって聞いたぞ!」

 

大きな声が教室に響く。

 

クラスで一番やんちゃなガキ大将……イメージ的にはピッタリだ。

 

僕(……こういう話が好きだったんだ)

 

体も声も大きい彼が、こういう話を楽しそうに語っている姿は意外だった。

 

女「ね……もう四つくらい不思議が出ちゃってるんだよ」

 

僕「四つって、金次郎さんだけで?」

 

女「不思議でしょ?」

 

僕「う~ん……」

 

女「他にもね、美術室の床に人の血が滴り落ちてるとか」

 

「誰もいない図書室で、勝手に本棚が動くとか」

 

「そうそう、家庭科室で包丁が無くなる事件とか……」

 

「お、俺も校庭で変な声を聞いたぞ!」

 

大将は、いちいち声がでかい。

 

女「ね、七不思議を一緒に調べない? 事件を解決して、学級新聞に書きたいんだよ~」

 

僕「そう言えば女たちの班が係りだっけか?」

 

女「うん!」

 

女「だから一緒に調べようよ~、ね? ね?」

 

僕「僕は班が違うけどいいの?」

 

女「……だって班のみんな帰っちゃうんだもん。怖い話や~、って」

 

僕「……その新聞、本当に作れるの?」

 

女「みんな書くスペースは決まってるから、その点は大丈夫だよ」

 

僕「女一人で七不思議を調べたりはしないの?」

 

女「ひ、一人で学校歩くのはち、ちょっと……」

 

僕「怖いんだ?」

 

女「怖くなんかないですよ~だ!」

 

僕「ふう~ん」

 

女「あ、あんまりニヤニヤするならもう誘ってあげない……!」

 

「そうだな! 俺たちだけで十分だよ!」

 

「ええ~、それもつまんないよ~」

 

「いいじゃんいいじゃん」

 

女「い、いいの? 本当にもう僕ちゃん誘ってあげないよ!」

 

女の顔が、キッとこちらを向いた。

 

半分は泣きそうで……もう半分は、ただ友達と遊びたい、そんな顔をしてるように見えた。

 

僕も、女の事は嫌いなわけじゃない。

 

本当に誘われなくなっても困る。

 

僕は、内心焦りながらも返事をした。

 

僕「で、でもさ学校を探検するのも面白いかもね~」

 

声が上ずっている。

 

女「ぼ、僕ちゃんも……来る?」

 

僕「え、えっと、まずは何から調べるの。雨が降りそうだから、早く終わらせて帰ろうよ」

 

女「……えへへっ、じゃあまずはね……」

 

僕は、あえて「行く」という返事をしなかった。

 

女「順番はね、私たち三年生の教室から近い順に見ていこうかなって思ってるの」

 

「そうだな! じゃあ最初は美術室だな!」

 

女「僕ちゃんもカバンなんて置いてさ、一緒に行こうよ」

 

僕「う、うん……」

 

その一言だけで、僕の顔は恥ずかしさで真っ赤になってしまった。

 

僕(……女と、一緒に学校を歩いてるんだ)

 

女「ほ、本当に血があったらどうしようね~」

 

「大丈夫だよ! 俺がみんなを守るから!」

 

女「僕ちゃんは、血とか大丈夫?」

 

僕(なにが、大丈夫なんだろう……?)

 

女「……ふふっ」

 

僕(やっぱり、こう見ると女って……可愛い)

 

ちょっと気になっていた、クラスの可愛い子と……放課後の学校を歩く。

 

薄暗い廊下は、しんとしていて……僕たち以外は誰もいないような錯覚をする。

 

静かだ。

 

女「じゃあ、行くよ」

 

美術室の扉が音を立てて開く。

 

中に入った瞬間、絵の具や画板などの木や塗料の匂いが僕たちに強く襲いかかる。

 

僕(う……)

 

僕はこの匂いが苦手だった。

 

女「じゃあ、早速調べよう。手分けして、何かあったら教えてね」

 

「お~」

 

他のみんなは平気なようだった。

 

僕だけが頭を痛くしながら、適当に教室内の床を見て歩いていた。

 

床には……変わった所は何もない。

 

「う、うわああああっ!」

 

突然、教室の後ろの方で叫び声がした。

 

男友達が悲鳴をあげて、床を指差していた。

 

女「ど、どうしたの!」

 

「こ、こ、これ……ち、血……」

 

教室内に散っていたメンバーが、一斉に集る。

 

「うわあっ!」

 

「いやあっ!」

 

床を見ると、確かにそこには染みが出来ている。

 

赤々とした、大きな染みだ。

 

……しかしそれは不自然なくらいに赤い。

 

女「あれ、これって……」

 

女が、その赤を爪で剥がそうと床に手をついた。

 

「お、女ちゃん……だ、大丈夫?」

 

女「うん。だってこれ血じゃないもの」

 

「……え」

 

女「血だったらこんなにテカテカしてないよ。固まってる感じからして……絵の具じゃないかな?」

 

「絵の具~?」

 

大将が、胡散臭げにその染みを見ている。

 

女「そうだよ。ほら、ここの棚に絵の具缶もあるしさ。きっと中身がこぼれて固まっちゃったんだよ」

 

「な、なんだ驚いて損しちゃった」

 

「女ちゃんすごい~」

 

女「えへへっ」

 

僕(心の中じゃあ、僕のが先に気付いていたのに……)

 

女「あれが美術室の噂かなあ」

 

廊下は静かで、女の声だけが響き渡る。

 

僕「七不思議なんて、あんなもんだよ」

 

女「まだ調べる場所はたくさんあるよ! 図書室に音楽室……あ、体育館の噂もあってね……」

 

クラスメイトと放課後の学校を歩く……昼とはまた違って見える教室の景色。

 

誰もいない廊下、普段にもまして余計に寂しく見える理科室や音楽室。

 

そんな光景も、友達と一緒にいれば何も怖くなかった。

 

ただ学校の中を歩き回っているだけなのに、僕は今とてもワクワクしている。

 

女「……結局、他の教室でも何もなかったね」

 

放課後の探検を終え、僕たちは教室に戻ってきていた。

 

みんながカバンを背負って帰る支度をしている。

 

僕も先ほど放り出したままのカバンを持ち、教室を出た。

 

「今日は何も発見がなかったね」

 

「あ~、でも結構ドキドキしたよね」

 

女「次は体育館の鍵とか借りて、中を調べないとね」

 

僕「えっ、まだ調べるの?」

 

女「当たり前でしょ? 七不思議の噂をちゃんと調べて新聞にするんだから」

 

僕「はあ……まあみんなが行くなら僕も行くよ」

 

女「もう、またそんな天の邪鬼な事言う!」

 

僕「だ、だって七不思議なんて……本当にあるわけ……」

 

女「そんな事言うなら誘ってあげない! ふんっ!」

 

階段を勢いよく降りる彼女……踊り場を抜けてあっという間に一階まで行ってしまう。

 

「あ、待って待って~」

 

「俺もいく~」

 

女に続くように、友人たちも階段を駆け降りてしまう。

 

僕「ち、ちょっと! ま、待ってよ!」

 

暗い階段に、僕の声だけが響いた。

 

僕も急いでみんなを追いかける。

 

僕「はあ、はあ……」

 

女「ふんだ、置いてっちゃうからね~だ」

 

玄関に着いた彼女たちは、すでに靴をはきかえて外に出られる状態だった。

 

その姿を見るだけで、僕は焦った。

 

僕「ま、待ってよ。置いてっちゃ嫌だよ」

 

玄関と廊下の境界線が、とても遠くに感じる。

 

口では強がっていてもやはり恐怖心はある。

 

急いで靴をはこうと、走り出した。

 

その瞬間……。

 

「……なあ」

 

今まで静かだった大将が、僕の方を見つめて話しかけてきた。

 

「七不思議の事だけどさ、俺一度だけ体験をした事があるんだ」

 

いきなり……何を言い出すんだ。

 

女「え、体験したの?」

 

女は興奮した様子で話に食いついた。

 

大将は淡々とした様子で語り出した。

 

「うん。三年生になって……夏休みに入る前かな、雨が降った日があってさ」

 

「俺、宿題のプリントを学校に忘れちゃってさ。気付いたのが一度家に帰ってからだったんだ」

 

「ちょうど今くらいの時間かな。まだ夏だから暗くはなかったけど、それでも一人で学校を歩くのは不気味でさ」

 

女「ま、まさか教室に幽霊が出たとか?」

 

「……プリントを持って、学校から出たんだ。ここまでは何もなかったよ」

 

女「学校から出たって事は……もしかして金次郎さんが動いたりとか!?」

 

「違うよ。普通に玄関前の階段を降りて、校庭を歩いていたよ」

 

僕「……それから?」

 

「雨でグシャグシャの校庭を歩いていると……いきなり女の子の声がしたんだ」

 

女「声?」

 

『……こんにちは、今から帰るの?』

 

僕「女の子の……声?」

 

女「誰かに声をかけられたの?」

 

「うん。でも、周りを見渡しても誰もいないんだよ……広い校庭には俺だけ、他に誰もいない」

 

僕「だ、誰か玄関で話していたとかでしょ?」

 

「玄関からは離れた場所だよ、校庭の……どの辺かは忘れたけど、真ん中あたり」

 

女「それ……本当?」

 

「嘘じゃないよ。怖くて調べてはないけど……声は聞いたよ」

 

僕「そ、そうなんだ……」

 

その話を聞いて、僕はなんだか怖くなってしまった。

 

噂だけならともかく、実際にそんな体験をした人が周りにいるとなると……

 

「ん? どうした、怖いのか?」

 

僕「ち、ちょっとだけ……」

 

正直に僕は答えた。

 

足がプルプルと震えている。

 

「……っ、ぷ……」

 

僕「?」

 

「ふ、あはははっ、そんなに怖がるなよ! 嘘に決まってるだろ、こんな話!」

 

僕「な……」

 

さっきとは変わって、玄関中に響く声で笑い出した大将。

 

「あ、足なんか震わせちゃって、ふ、ふふふっ……」

 

これ以上ないくらいに、笑っている。

 

僕「ま、まあ嘘なら嘘でもいいんだけどさ……」

 

「……ところでさ、机に筆箱を置きっぱなしじゃないかい、僕くん」

 

僕「え?」

 

「ほら、お気に入りのあの青い筆箱だよ。みんなに自慢してただろう?」

 

カバンを漁ってみると、確かに筆箱だけが入っていなかった。

 

ゴタゴタの中でしまい忘れたのか。

 

僕(う、うう、あれが無いとなんか不安……)

 

僕「と、取ってくる!」

 

「あっそ。じゃあ俺たちは帰るから。一人で頑張れよ!」

 

僕「……え? 誰もついてきてくれないの?」

 

女「教室くらいすぐだよ~。僕ちゃんなら一人で大丈夫だよね?」

 

僕「う……」

 

女にそう言われたら、カッコつけないわけにはいかない。

 

僕「じ、じゃあちょっと行ってくるよ……」

 

「おう。じゃあまた明日な~」

 

僕「せ、せめてここで待っててよ!」

 

「え、僕くんだけ帰る方向違うじゃん。だからここでバイバイするんだよ」

 

僕「そ、そんな……」

 

チラッと女の方を見てみる。

 

女「……あ、もうアニメが始まっちゃう」

 

一人玄関を出ていく彼女。

 

女「じゃあ、バイバイ~」

 

僕「うう……」

 

結局、僕は一人で廊下と階段を引き返し……二階の教室まで歩いていた。

 

廊下は更に暗くなり、もう一番奥の方は見えなくなっている。

 

僕「早く帰らないと……」

 

三年生の教室に入り、電気をつける。

 

真っ白い光が教室を照らす。

 

僕「ああ、あった」

 

机の上には青い筆箱。

 

僕はそれを取るとカバンにしまい、しっかりと閉じた。

 

僕「……もうこんな時間」

 

黒板の上に設置してある時計を見た後、僕は窓の方へ目を向けた。

 

暗い空、そして……。

 

僕「あ、雨……」

 

いつの間にか降りだしていたのか、外では雨が力強く降っていた。

 

季節外れの夕立だろうか、すごい勢いで窓を叩いている雨水が印象的だ。

 

僕「……あ、女たちだ」

 

窓の向こう、教室から見える道では傘が四つ並んで歩いていた。

 

両脇に田んぼと畑が広がる、一本の道を早足で歩いていく。

 

僕(本当に、帰ってるや……)

 

僕も早く帰ろう。

 

そう思って教室の入り口に向かった瞬間……。

 

背中から、視線を感じた。

 

ビタッ、と。

 

入り口付近で固まってしまう。

 

明らかに、後ろに誰かがいる……ような気がした。

 

僕には霊感なんてないし、特別にオカルトが好きというわけではない。

 

それでも、背中から……教室の中か窓の向こう、ベランダから……視線を感じてしまった。

 

僕「……っ!」

 

僕は後ろを振り返らずに、一目散に教室から出ていった。

 

廊下を走り、階段を降りて……ようやく一階の玄関までたどり着いた。

 

僕(怖くない、怖くない!)

 

置き傘を探しながら、僕は心の中で必死に叫んでいた。

 

……やっと傘を見つけ、学校を飛び出した時は正直ホッとした。

 

暗く、閉鎖的な空間よりはよっぽど居心地がいい。

 

僕(早く、帰ろう……)

 

玄関前の階段を降りて校庭へ。

 

急な雨で地面はグシャグシャ、ちょっと歩いただけですぐに靴下まで濡れてしまった。

 

僕「うへえ……嫌だ嫌だ」

 

僕「……まあ、帰ればコタツとストーブで暖まって、あ、お風呂もいいよなあ」

 

体は冷たいながらも、僕は帰った時の事を想像して内心はウキウキしながら歩いていた。

 

雨はそんなに嫌いじゃない。

 

何より、寒い体を暖めてノンビリする……僕はそれが好きだった。

 

僕「今日の夕ご飯はなにかな~」

 

そんな……ゆっくりとした気持ちで校庭を歩いていた。

 

彼女の声が聞こえてくるまでは。

 

『……わ』

 

僕「……え?」

 

聞こえた何かに、耳を傾けてみる。

 

『……』

 

なんだ、気のせいか……。

 

辺りを見回しても誰もいない。

 

もう一歩を踏み出そうとした瞬間……。

 

『……こんにちは、今から帰るの?』

 

僕「!」

 

今度ははっきりと聞こえた。

 

か細く、弱々しい声だけれども……雨音にかき消される事なく、はっきりと僕の耳に届いた。

 

『……ねえ、今から帰るの? 少し私とお話しない?』

 

お話……?

 

僕(ま、待ってよ、足がすくんで……喉も)

 

『ふふっ、そんなに怖がらなくていいのに。私、何も悪い事しないよ』

 

僕「あ、あ……」

 

ダメだ、校庭の真ん中で僕は立ち尽くしてしまった。

 

足が氷のように動かない。

 

靴下が水浸しでも、もう関係ない。

 

『そんなに……怖がらないでよ……ただ、お話したい……』

 

『それだけ、なのに』

 

僕「……?」

 

よく声を聞いてみると、確かに不思議な感じがした。

 

姿は見えないけれど、ただそれだけ。

 

『ねえ、お願いだから』

 

その声からは、純粋に僕と話したい……そんな印象しか受けなかった。

 

僕「き、君はだ、だれ?」

 

震えながらも精一杯に声を絞り出した。

 

ちゃんと聞こえてくれただろうか?

 

『! 私、私はね……!』

 

『私は……ただお話したいだけだよ』

 

興奮から一呼吸置いた後、落ち着いた返事がきた。

 

僕「え、えっと……怖くないよね?」

 

僕はまだ、落ち着けていないようだった。

 

『怖くないよ。ちょっと声かけたら、みんな逃げちゃうんだもん……もう、寂しいよ……』

 

僕「み、みんなって?」

 

『この学校の人。私がお話しても、誰も答えてくれなかったから……』

 

僕「は、話がわからないんだけど」

 

『ねえ、私と一緒にお話してくれる?』

 

どこからともなく声がしている。

 

悪意はなくても、気持ちのいい事ではない。

 

僕は思いきって提案をしてみた。

 

僕「……す、姿を見せてくれればいいよ」

 

『姿も何も、私はずっとここにいるよ』

 

僕「え? どこに?」

 

辺りを探しても、ただ校庭に雨が降っているだけ。

 

女の子の姿は見当たらない。

 

『もう、違うよ。そんな周りじゃなくて……教室のベランダ』

 

僕「ベランダ……?」

 

『うん、電気つけっぱなしの三年生の教室だよ』

 

僕「あ……」

 

どうやら学校から出る事に夢中で、教室の電気を消し忘れてしまったらしい。

 

二階では一つだけ、電気のついた三年生の教室が目立っている。

 

そのベランダを見てみると……。

 

僕「……いないよ」

 

『……』

 

僕「そんな嘘はいいからさ、早く姿を見せてよ」

 

話せる分だけ、僕も少し強気になっていた。

 

『う、嘘じゃないよ……私、ずっとずっとここにいたんだもん……』

 

女の子の声が、少し泣き出しそうになっていた。

 

僕「で、でも実際姿見えないよ? なにか証拠でもないと信じられな……」

 

『さっき、帰る前に女ちゃんに呼び止められて学校探検してた』

 

僕「な、なんでそれを知って……」

 

『ずっといるんだから、わかるよ。君の名前も、今日の給食のメニューも』

 

僕「で、でもそれだけなら……」

 

『……青い筆箱、机に忘れてた』

 

僕「!」

 

『窓から外見て、帰る友達見ていた』

 

僕「そ、それはさっきの」

 

『ずっと見てたもん、私にはわかるんだもん』

 

『ここに……ずっといるんだもん』

 

ヤバい、さらに泣き出しそうなくらい弱い声になっている。

 

僕「姿を現す事はできないの?」

 

『知らない、そんなの。私はここにいるんだもん』

 

僕「うう~ん……」

 

こっちからすると、姿が見えないのは不安で仕方がない。

 

『お話……』

 

いくら声が聞こえるから……って?

 

声が聞こえる?

 

僕「あ、あのさ」

 

『ん~』

 

僕「君は、今どこにいるの?」

 

『ベランダだよ~……三年生の教室の』

 

僕「じゃあ……どうして君の声が僕に聞こえるの?」

 

『え?』

 

僕「だって僕、校庭の真ん中……ううん、校舎から見れば奥の方にいるんだよ?」

 

『うん、見えてるよ~』

 

僕「普通はこんな声なんて聞こえないよ、雨だって降っているのに」

 

『……でも、声が届いた人はみんなその辺にいたもん。話したいな~って声かけたら聞こえたんだもん』

 

僕「この辺に?」

 

周りを見てみるけれども……この辺りには遊具なんて何もない。

 

ただ景色が開けている、普通の校庭の一部でしかない。

 

僕「……」

 

雨は相変わらず、強く降っている。

 

校庭の土を叩いては、いくつもの水溜まりを作って……。

 

僕(あ、水溜まりが光ってる)

 

目の前の先……数歩分くらいの距離にある水溜まりが、なぜか白い光を放っていた。

 

しかし、それは何も不思議な光ではなかった。

 

僕(……ああ、教室の電気か)

 

水溜まりの中に、僕が消し忘れた教室の光が反射している。

 

僕は、その水溜まりをボーッと見つめていた。

 

『……』

 

僕(……あ)

 

白い光のある場所には、当然教室とベランダが映っている。

 

僕(だって、あれ?)

 

顔を上げて、実際の教室の方を見てみる。

 

僕(……いない)

 

再び、水溜まりの光に目をやると……白い光が素直に僕の目に入ってこない。

 

どうしても、光の前に一つだけ影が入ってしまっている。

 

それは、小さな女の子の影のように見えた。

 

彼女は、ベランダの手すりに頬っぺたをくっつけ突っ伏していた。

 

僕「ねえ、今手すりにくっついてる?」

 

『え? う、うん。一応』

 

言葉と一緒に、水溜まりの中の影が顔を起こしたように見えた。

 

僕は少し興奮しながら、また彼女に話しかけた。

 

僕「あ、今体まっすぐにしたでしょ?」

 

『……見えるの?』

 

僕「見えるよ、教室のベランダにいる。真っ白いワンピース着てて……」

 

雨はもうそんなに強く降っていない。

 

水面に反射したベランダ……水溜まりの中に、僕は彼女を見つける事が出来た。

 

僕が本当の不思議に出会った瞬間だった。

 

パッ。

 

僕「あ……」

 

僕が彼女を見つけた瞬間、教室の電気が消されてしまった。

 

『先生来て、消されちゃったよ』

 

僕「そっか、まあ当たり前かな」

 

『もう私見えない?』

 

僕「……いや、見えるよ」

 

光がなくなっても、水溜まりの中に彼女はいた。

 

僕「まだ一階職員室の明かりがついているから、余裕だよ」

 

『ふふっ、よかった』

 

笑う彼女の声を聞いて、なんだか僕まで嬉しくなってしまった。

 

光が無くても、ベランダにいる彼女はよく見えた。

 

僕(水溜まりがこんなに映像を反射するものだとは思わなかったな……)

 

『えへへっ、なんとなくわかったよ』

 

僕「ん? 何?」

 

『その水溜まり……私が映ってる距離と僕ちゃんがいる距離は近いでしょ?』

 

いつの間にか、名前で呼ばれてしまっている。

 

『だから、お話できるんだよ。私って天才~』

 

僕「……ぷ、ふふっ」

 

『な、なによ。何かおかしい事言った~?』

 

僕「い、いや、ずいぶんお茶目な性格なんだな~って、くくっ」

 

僕「さっき話しかけられた時は怖かったけど……」

 

『悪いことなんてしないって言ってるのに……』

 

僕「姿が見えなかったからね。今はちゃんと……あ、今髪の毛いじったでしょ」

 

『っ! べ、別に女の子だからいいんだもん! 悪い!?』

 

僕「わ、悪いなんて言ってないよ。ちゃんと見えてるんだからさ……ほら、お話しようよ」

 

『……』

 

僕「あれ、ダメ?」

 

『……もう、お家帰る時間でしょ』

 

彼女がそう言うと、学校のチャイムが校庭に鳴り響いた。

 

僕「こんな時間にチャイムが鳴るんだ」

 

『これが最後のチャイムだよ。冬はみんな早く帰っちゃうから……』

 

空もすっかり暗くなっている。

 

職員室の明かりだけが、弱々しく学校に一つだけ灯っている。

 

僕「僕もそろそろ帰らないと」

 

『うん……今日はありがとう』

 

僕「また会えるよね?」

 

『私はずっとここにいるよ。授業中も、給食の時間も、放課後も……』

 

僕「あ、そっか、じゃあいつでも会えるんだね」

 

僕は少しだけ嬉し楽しい気分になった。

 

『……どうだろうね』

 

僕「?」

 

彼女の声は、どこか沈んでいるように思えた。

 

僕「あ、あのさ……」

 

僕が話しかけた瞬間、職員室の明かりが消えた。

 

僕「あ……」

 

『また今度会えたらいいね、バイバイ僕ちゃん』

 

僕「ねえ……ねえ」

 

『……』

 

水溜まりに言葉を投げ掛けても、もう返事は来なかった。

 

光が全くない状態では、水溜まりの中を見る事もできない。

 

僕「……またね」

 

真っ黒い地面にお別れの挨拶をして、僕は学校を後にした。

 

僕(……)

 

放課後に学校を探検した事。

 

噂の女の子に会って、会話をした事。

 

そして彼女の姿を見つけてしまった事。

 

僕(明日もまた会えるよね……ずっとあの場所にいるんだから)

 

しばらく歩き、遠くの道から僕はベランダを見つめた。

 

彼女がいる場所に向かって、大きく手を振った。

 

『うん。また……ね』

 

ベランダでは、少女が小さく手を振っている。

 

僕は背中に何も感じないまま、家までの道を走っていった。

 

翌日の放課後。

 

僕「ねえ女ちゃん」

 

女「ん、どうしたの~?」

 

僕「今日は七不思議の調査しないの?」

 

女「……あんまり新しい噂がなくてさ~。体育館だって授業の時調べたけど、別に何もなかったし」

 

僕「へへっ、じゃあ僕が一つ教えてあげるよ」

 

女「え?」

 

僕「一つ、不思議が見える場所を知ってるんだ!」

 

女「……ここ?」

 

僕は彼女を、昨日の水溜まりがあった辺りまで連れてきていた。

 

今朝は晴天だったせいか、水溜まりは無く地面が少し湿っている……くらいの印象だ。

 

女「……本当に、ここでその子と話せるの?」

 

僕「うん。昨日話したもの」

 

女「で、肝心のその子はどこにいるの?」

 

僕「ん……えっと」

 

僕は水溜まりのあった場所を指差した。

 

僕「昨日はここにいたよ」

 

女「ここにいたって……地面から出てきたの?」

 

僕「違うよ、水溜まりの中にいるの。本当は三年生のベランダにいるんだけど……」

 

女「えっ、私たちの教室の所?」

 

彼女は、二階のベランダをパッと見つめた。

 

僕もその動きに釣られて同じ場所を見た。

 

でも、そこは昨日と同じで何も見えなかった。

 

女「……いないじゃん」

 

僕「だから、昨日は水溜まりの中で……あれ?」

 

一晩あけて頭の整理が出来ていないのか……うまく、説明が出来ない。

 

僕(他の人にわかるように説明するのって、難しい……)

 

僕「あ、そ、そうだ」

 

思い出したように、僕は水溜まりのあった場所に話しかけてみた。

 

僕「ね、ねえ。来たよ、こんにちは」

 

……。

 

昨日聞こえた声は返ってこない。

 

僕「あ、あれ?」

 

女「もう、協力してくれるのは嬉しいけどさ。あんまり変な噂は流しちゃダメだよ~」

 

あはは~と、彼女は軽く笑っている。

 

僕「べ、別にそういうつもりじゃないよ」

 

しかし、声が聞こえない以上はただのイタズラになってしまう。

 

女「ふふっ、優しいね僕ちゃんは。そんなに気にしないでいいのに」

 

僕「でも……」

 

本当に彼女はいるんだ。

 

女「大丈夫だよ、不思議が見つからなくても新聞は作れるんだからさ」

 

僕「……」

 

結局、その後も声をかけてみたけれど反応はなかった。

 

あの女の子は、ずっと同じ場所にいると言ったのに。

 

たまたま、あの場所から離れていたんだろうか。

 

それとも今日は話したくない気分だったのだろうか。

 

僕たちが帰路についたのは、ちょうど夕空に一番星が光った頃の時間だった。

 

僕「ね、ねえどこいくの?」

 

女「いいからついてきて~」

 

学校を後にした僕たちは、もう夜になりそうな帰り道を歩いていた。

 

僕が、付き合わせたお詫びに近くの駄菓子屋で何か奢るよ、と言ったら……。

 

女「……あ、それだったらついてきてよ」

 

僕(言われるままについてきたけれども)

 

僕はいつもと違う道を通って、家に向かって歩いている。

 

狭い路地や、竹林に囲まれた敷地の横を抜けて……彼女の後ろにくっついていた。

 

僕(方角は合ってるけど、ちょっと回り道だよ……)

 

女「あ、ほらついたよ、ここ」

 

狭い道を抜けると、車が走る大通りに出た。

 

僕「ここって、コンビニ?」

 

女「そうだよ。私、ここで食べたい物があるんだ」

 

お店に入ると……真っ白な電気とヒーターの匂いが僕たちを包んだ。

 

僕「あったかい」

 

女「あ、僕ちゃんお金いくら持ってる?」

 

僕「んと、50円」

 

もともとは駄菓子屋で使う予定だったお金だ、コンビニで買い物をするには少し頼りない。

 

女「ふふっ、よかったちょうど、それくらいで」

 

彼女的には都合がいいらしい。

 

女「すいません、肉まん一つ下さい~」

 

レジの前で、彼女は中華まんの入っているケースを指差して言った。

 

僕「……食べたいのって肉まんだったんだ」

 

お金を半分づつ払った僕たちは、コンビニの外でさっき買った肉まんを分けあった。

 

女「はい、半分あげる」

 

僕「あ、ありがとう……」

 

美味しそうな湯気が出ている。

 

冷めないうちに口に運んでしまおうと、僕は肉まんにかぶり付いた。

 

僕「ぱく……美味し」

 

女「ふふっ、温かくて美味しいね~」

 

僕「これが食べたい物?」

 

女「そうだよ、冬はこういう食べ物の方が幸せになれる気がする」

 

二口、三口で半分の肉まんはどんどん小さくなっていく。

 

温かいけれど、男の子の僕には少し足りない量だった。

 

女「ごちそうさま」

 

僕「……ごちそうさま」

 

ゴミを捨てて、僕と彼女は向き合う形になった。

 

そろそろお別れの時間だ。

 

僕「肉まん、ありがとうね」

 

なぜかお礼を言ってしまう。

 

女「うん、美味しかったよ!」

 

お腹がふくれたせいか、彼女は元気に返事をした。

 

僕は、少しだけ水溜まりの中の少女の事を考えた。

 

僕(あの子も温かい物は好きなのかな……)

 

次にあったら聞いてみよう。

 

女「じゃあ、またね」

 

僕「うん、バイバイ」

 

『えっ、好きな食べ物?』

 

次に彼女に会えたのは、12月に入ってすぐの辺りだった。

 

校庭を歩いていると、久しぶりな声が聞こえてきて……。

 

この日も雨が降っていた。

 

水溜まりの中には、変わらない様子の彼女が見えた。

 

僕「うん、何が好きかなって思って」

 

『……あんまり覚えてないや。最近ご飯だって食べないし』

 

僕「そう、なんだ」

 

『うん……』

 

帰りのコンビニ思い付いた、この話題はあまり良くなかったらしい。

 

水の中の彼女が、ちょっとふて腐れた様子で手すりにもたれ掛かっている。

 

僕「あ、あのさ」

 

雰囲気を変えるために、僕はまた話を始めた。

 

『ん~?』

 

僕「最初に会った次の日に……会いにきたのわかった?」

 

『……知らないもん』

 

ぷいっ、とそっぽを向いてしまう。

 

僕「ほら、話しかけたじゃん。覚えてない?」

 

『覚えてないよ。校庭で女ちゃんと二人で歩いてる所は見たけど……声なんて聞こえなかったもん』

 

僕「え……」

 

『放課後女ちゃんを誘ってさ、一緒に外に出たのは見てたよ』

 

僕「まあ、ベランダからなら見えるだろうな」

 

『でも、外に二人の姿が見えても……何も聞こえなかった。だから覚えてないんだもん』

 

僕「ふうん?」

 

『私ね、きっと雨が降らないとお話出来ないんだよ』

 

『誰かに話しかけて聞いてもらえるのも、声が届くのも……雨の日だけ』

 

僕「……ねえ、みんなに話しかけて声が届いたのは、どの場所?」

 

『そこの僕ちゃんが立ってる辺りだよ~……ベランダから教室に話しかけても、誰もこっちを見てくれないんだもん』

 

『雨の日にその辺りに人が来るとね、あ、お話できるって感じるの』

 

僕「それはどうして?」

 

『わかんないもん……』

 

僕「わかんない、ね」

 

僕「……まあ理由はなんでもいいのかもね」

 

『……』

 

僕「こうやってお話出来てるんだからさ、ね?」

 

『……』

 

『考えるのが、面倒になったんでしょ?』

 

僕「あ、バレた?」

 

『……くすっ』

 

落ち込んでいた彼女が、少しだけ笑ってくれた。

 

『もう、すごい適当な人なんだね僕ちゃんて』

 

僕「そうかな? あまり細かい事は気にしないだけだよ」

 

『……確かに、見てるとすごい適当な人間だもんね』

 

僕「え? 見てるとって、何を?」

 

『授業の様子とか、友達付き合いとか見てると……ああ、ゆるゆるな人間だな~って』

 

僕「……見てるの?」

 

『うん。暇な時間はずっと教室見てるよ。クラスみんなの名前だって知ってるし、誰がどんな性格かだって……わかるもん』

 

僕「それはそれで何か怖いよ」

 

『くすっ、だって楽しそうなんだもん。いいよね、小学校ってさ』

 

『お友達がたくさんいて、まだ勉強も楽しい時期で……毎日新しい刺激ばっかり』

 

『女ちゃんみたいに探検したり、放課後の学校でかくれんぼしたりとかさ……』

 

小学校の事を語る彼女の口調は、とてもサッパリとしている様子だった。

 

見た目的には、僕たちと同じ年齢に見えるくらい幼いのに……言葉の一つ一つが重苦しく感じた。

 

僕「……」

 

『楽しそうだよね、本当にうらやましいよ』

 

そう言えば、僕は彼女の事を何も知らない。

 

僕「ねえ」

 

『……な~に』

 

手すりに腕をのせて、それを枕にしている。

 

遠い表情をしながら返事をする彼女に……僕は思いきって尋ねてみた。

 

僕「あのさ、君は一体誰なの?」

 

『私?』

 

僕「……」

 

考えてみれば当然だった。

 

水溜まりにだけ映る少女、動かずずっと同じ場所にいる。

 

僕「僕は先入観から、七不思議の一つの……ただの噂の女の子だと思っていた」

 

『……うん、そんなお話もしてたね』

 

僕「本当に君がそうなの?」

 

『噂や七不思議なんて、どこの学校にもあるでしょ。学校のどこかに女の子が出るなんて話……』

 

僕「じゃあ、君は噂によって生まれた……」

 

『多分、違うもん』

 

言い終わる前に、彼女の言葉が重ねられた。

 

『噂なんて知らないよ。気付いたらここにいて、ずっと一人』

 

『最初は泣きっぱなしだったよ。誰も私に気付いてくれないんだもん』

 

僕「……」

 

『泣いて、泣いて、泣いて。十年くらいは泣きっぱなしだった、ずっとうずくまって泣いていたんだもん……』

 

僕「じ、十年?」

 

『うん、それだけ泣いたら慣れちゃって。今度はボーッと外や教室を見ていたの』

 

僕「そ、それで?」

 

『……それから七年くらい後かな。いつもみたいに教室を覗いているとね』

 

「……あ」

 

『教室の中の女の子と目が合ったの。私に気付いてくれたの』

 

「……ちょっと、ごめんね。暑いから」

 

『そう言って、友達のいた教室から出てきて……私の隣に立って言ってくれたんだ』

 

「こんにちは、今日も寒いわね」

 

僕「……その子は?」

 

『私に気付いてくれた……たった一人のお友達。放課後とか、よくこのベランダでお話したんだよ』

 

『楽しかったな……』

 

僕「水溜まりから話しかけたんじゃないの?」

 

『その子は違うよ、何もしないで本当に私に気付いてくれたの。お話も普通にしてたもん』

 

僕「そう、なんだ」

 

『……でも、その子も何年か前にいなくなっちゃった。お別れする前、すごく泣いてた』

 

『私はもう泣く事に飽きちゃってたから、ただ寂しいなって思いながら彼女を見てたの』

 

『それでね、何度も何度も私に言ってた』

 

「助けてあげられなくてごめんなさい、雪が降るまで一緒にいてあげられなくて、ごめんなさい」

 

『……』

 

僕「雪? 助けるって?」

 

『わかんない、ただ謝ってだけだったもん』

 

僕「いなくなったって事は……卒業かな?」

 

『ううん、お引っ越し。とても遠い所に引っ越すんだって言ってた』

 

僕「そう、なんだ……」

 

『お別れの日も雨が降っていてね……ちょうど僕ちゃんが立っている辺りかな、その女の子が何か落とし物したみたいだった』

 

僕「落とし物?」

 

『あまりよくは見えなかったけど……でも、次の日からね、私の声が聞こえるようになったんだよ』

 

僕「この……水溜まりの辺り?」

 

『うん。逃げちゃう人ばかりだったけど……嬉しかったよ。私の声が聞こえてるんだ、って思うと』

 

『えへへっ、実はね、こういう風に話せるようになってからまだ一年くらいしか経ってないんだよ』

 

僕「えっ?」

 

『一年で色んな人に逃げられちゃったけど……でも誰とも話せなかった十七年に比べたら……』

 

『こんなに早く、お話できる人に会えると思ってなかった。あの子のおかげ……だから私今、とても幸せだよ』

 

僕「……」

 

情報が多すぎて、何を聞き返せばいいのかわからない。

 

水溜まりの中には、ニコニコと年相応の笑顔を見せた女の子がいる。

 

その笑顔は、本当に幸せそうだった。

 

彼女の話を聞き終わった後、学校で最後のチャイムが鳴った。

 

こんなに遅くまで話していたんだ……。

 

『あ、じゃあまたね……水溜まりができたらお話しよう』

 

僕「……」

 

僕は小さく、バイバイとだけ言うと学校を後にした。

 

雨はもうすっかり弱くなっていて、帰る途中では雲の向こうにうっすらと月が見えるくらいにまでなっていた。

 

……帰りながら、僕は今日の彼女の話をずっと思い返していた。

 

まず、彼女は十八年も前からあの場所にいる。

 

理由は不明だが、嘘を言っていた様子はない。

 

そして十七年目のある日、彼女を見る事ができる女の子に出会って……。

 

引っ越しでお別れする日、助けられなくてごめんなさい、と言われる。

 

僕(水溜まりに、彼女は何か残していったのだろうか?)

 

彼女がいなくなった次の日から、水溜まりを通して誰かと話す事ができるようになった。

 

そして、一年間話し続けた結果……僕とこうして話すようになった。

 

僕「……」

 

一通り考えてみた後、僕にはもう、一つの事実しか浮かんでこない。

 

僕「あの子は……地縛霊、なのか」

 

本で読んだ事がある。

 

自分が死んだ事に気付かず、ずっと成仏できずに同じ場所にとどまっている……。

 

うろ覚えだが、そんな感じの霊だったはずだ。

 

彼女は自分が死んだ事に気付いているのだろうか。

 

そして、何より地縛霊は危険な存在だと書いてあった気もする……。

 

僕「でも……」

 

『くすっ、水溜まりじゃないとお話してもムダだもん~』

 

『給食美味しそうだったね~……ピーマンなんて残して、こっども~』

 

『……お話できて、嬉しかったんだよ』

 

まだ数える程しか話してないけれど、僕には彼女の表情が嘘だとは思えなかった。

 

ただ友達と遊びたい、それだけの女の子……。

 

今の彼女からは、それ以外の感情は伝わって来ていない。

 

僕「……」

 

そんな調子だから僕は、彼女を悪い霊だと考える事をすぐに止めた。

 

僕(そうだよ、お話していて楽しいんだもの)

 

僕(……霊なら、今度何かお供え物でも持っていこうかな。気持ちが伝わればいいって話も聞くし)

 

僕(うん、そうしよう!)

 

僕は、誰もいない道の真ん中で一人納得したかのように走り出した。

 

彼女と一緒に話していると、何故だか自然と元気になり、また不思議な気持ちにもなった。

 

白いワンピースを着た彼女の姿が、僕の頭の中に居座り始めた。

 

僕は、これからの冬を楽しく過ごせる気がしていた。

 

空はこんなに真っ暗なのに。

 

僕「おやすみなさい……」

 

布団に入り眠る前に、微睡んだ頭で僕はもう一度彼女を思い出す。

 

『……またね』

 

「もう一緒に遊べないの、ごめんなさい」

 

思い出した姿は、なぜか別れの場面だった。

 

彼女は寂しそうだけど淡々と、一方の女の子はわんわんと泣きながら涙を流している。

 

「……雪が降るまで、一緒にいないと……」

 

いないと?

 

『大丈夫だよ、私そんなのへっちゃらだもん』

 

言葉ではそう言いながらも、彼女はよくわからない、と言った表情で泣いている女の子をただ見ていた。

 

「うっ……ぐすっ、ぐすっ……うわあああん……」

 

友達と別れるのは、そんなに悲しい事なのか。

 

僕はぼんやりとしながらそれを見ていた、まるで自分もその場に居合わせているかのように。

 

『大丈夫だよ、私はずっとここにいるんだから。会いたくなったらまた会いに来てよ』

 

「……」

 

泣いている女の子は、もう何も言わなかった。

 

「……」

 

場面が変わって、ベランダから校庭を見下ろすような視点に今は変わっている。

 

ああ、これは夢なんだと途中で気付いた。

 

校庭の真ん中では、さっきまで泣いていた彼女が……傘で水溜まりの中を何かなぞっている。

 

雨は容赦なく彼女に降り注いでいる。

 

それでも、彼女は傘をさそうとせずに、ずっと水の中をいじっている。

 

僕(ああ、そういえば校庭の七不思議があったっけ)

 

僕(好きな人の名前を土に書いて、一晩経つと両思いになれるとか)

 

僕(休みの日に、校庭の真ん中で名前を呼ぶとその人も学校に遊びに来て仲良くなれるとか……)

 

いわゆる、おまじない的な不思議を僕は覚えていた。

 

「……」

 

でも、彼女がしている動きはそれとは全く違っていて。

 

僕(……あ、目が覚めそうだ)

 

なんとなく、意識がその場から遠のく気がした。

 

彼女は頭に付けていたピンクのヘアピンを外して……それを水溜まりの中に落とした、ように見えた。

 

……それを落とした瞬間、僕の意識は朝の七時半に飛んだ。

 

僕「……変な夢」

 

太陽がまぶしい通学路の途中、僕は一人言を呟いた。

 

昨日彼女に聞いた通りの、夢の内容。

 

見えたシーンは細かく違ったが……頭の中で記憶が整理された証拠なんだろうか。

 

難しい事はよくわからないけど……一つだけ覚えている事がある。

 

僕(雪が降るまで、一緒に……)

 

この言葉が、僕の頭にずっと引っ掛かっていた。

 

雪が降ったらなんだと言うんだろう。

 

雪がダメなら、雨でも十分ダメなんじゃないのか?

 

僕(それに……雪なんて殆ど見たことないよ)

 

僕は、生まれてから一度も雪が積もった景色を見た事がなかった。

 

この地域では、雪はほとんど降る事がない。

 

もし降ったとしても少量の粉雪程度で……その粉雪ですら、毎年降るか降らないか微妙な所なんだ。

 

僕(だから、そんな事気にしないでいいのに)

 

僕は、泣いていた女の子に語りかけるように心の中で呟いた。

 

そして何より、学校に着くと……そんな呟きさえ忘れてしまうくらいの事件が僕を待っていた。

 

僕「おは……」

 

「おお~っ! 幽霊に取りつかれた僕くんが来たぞ!」

 

教室に入って一番に聞こえたのは、例のガキ大将のバカみたいにデカイ声だった。

 

声の大きさもそうだが、話の内容に僕は戸惑ってしまう。

 

「なあなあ、昨日校庭で誰と話していたんだよ! なあ!」

 

容赦なく、大きな声が僕を追い詰める。

 

僕「え……な、なにが?」

 

話が全く見えてこない。

 

「昨日誰かと話してたろ! 俺、見ちゃったんだってば!」

 

「学校の近くを通ったらさ、お前が一人で校庭にいるじゃん! で、ちょっと近付くと……何か誰かと話してたろ!」

 

僕「……」

 

校庭の真ん中辺りなので、たしかに僕の姿を目視するのは簡単だろう。

 

「俺、門の近くからこっそり聞いてたんだけどさ! 明らかに女の子の声がするんだもん!」

 

僕「……」

 

水溜まりの中に、二階教室のベランダを捉えるためには……覗き込む角度をちょっと変える必要があった。

 

そこにちょうどいい位置となると……確かに、正面の門にやや寄る形となる。

 

僕(すぐ後ろに、いたのか)

 

「なあ、あれってやっぱり七不思議の幽霊か!」

 

「え~僕くん幽霊と話してるの」

 

「やだ、怖い……」

 

「とりつかれそう~……」

 

「なあ、どうなんだよ! 言わないとこれから幽霊って呼ぶぞ!」

 

僕(知らないよ、そんなの……)

 

周りからは、よくわからない声がずっと鳴っている。

 

窓の向こう、ベランダにいる彼女も……これを見ているんだろうか。

 

ずっとそこにいるって言ってたから、多分全て見て聞いているんだろう。

 

僕には彼女の姿は見えないけれど、以前話した時みたいに……無邪気な笑顔で僕を見ていない事だけはわかる。

 

僕(友達が欲しい……それだけじゃないのかよ)

 

こいつらに彼女の気持ちなんて、絶対にわかりっこないんだろうな。

 

僕は何も言い返せないまま、席に座った。

 

何を言えばいいのかわからない、そして何より……ベランダの向こうから痛々しいくらいの視線を、僕は感じた。

 

彼女はじっとこちらを見ているんだろう。

 

その表情は泣きそうなんだろうか、いや、泣く事には飽きたって言ってたから……。

 

何も言えなかった僕を、恨めしそうに見ているんだろうか。

 

それとも霊をバカにしたクラスメイトたちを睨み付けているんだろうか……。

 

僕(ああ、あの女の子がいれば、彼女に話してもらう事ができるのに)

 

机に突っ伏した僕は、真っ白な頭の中でそんな事だけを考えていた。

 

女「……ねえ、僕ちゃん。僕ちゃん」

 

女に肩を揺すられ、僕は顔を起こした。

 

女「よかった、泣いてはいないんだ」

 

見ると、周りには女の他にも……数人の友達が僕の机に集まっていた。

 

彼らは僕を助けてくれるグループらしい。

 

僕はちょっとだけ安心をした。

 

たった数分、一人ぼっちになっただけでも僕の心は折れてしまいそうだった。

 

十七年も一人でいた……ベランダにいる彼女の事が、また気になってしまう。

 

僕「……ちょっと、暑い」

 

そう言って、僕は窓を開けベランダに出ていった。

 

冬の空気が僕の頭を冷やしてくれる。

 

ストーブの機械が音をたて、ゴウゴウと揺れ動いている。

 

ガスのような匂いがする。

 

僕はその匂いと冷たい風に包まれながら……手すりに両腕をのせた。

 

隣にいる彼女は、今どういう格好でここにいるんだろう。

 

僕に彼女の姿を見ることはできない。

 

僕「……怒った? ごめんね」

 

僕は誰もいないベランダで会話を始めた。

 

確かに、この姿だけを見られたら変に思われるかもしれない。

 

でも、隣には彼女がいて僕の話を聞いている。

 

何も変な事はない。

 

僕「ひどいよね、人を幽霊扱いしてさ」

 

僕「僕は、君の事は何も知らない。あいつらだってそうだよ、君がどんなに可愛くていい子かだって……」

 

僕「それがわかれば、絶対あんな事言わないはずなのにね」

 

当然……声は返ってこない。

 

僕「……ねえ、みんなの前でお話していい? 君は水溜まりの中にいて、こんなにも可愛く笑うんだって」

 

僕「……」

 

僕「ダメかな?」

 

返事はないとわかっているのに、つい疑問形を使ってしまう。

 

……でも、聞かないでも答えはわかっている。

 

多分、彼女は嫌だと答えているだろう。

 

確証なんてないけれど……。

 

僕「……そろそろ授業だから戻るよ。また雨が降ったら」

 

そう言って、窓を開けようとした瞬間……ギッと枠の金属が嫌な音をたてた。

 

僕「……」

 

開かない。

 

鍵は閉まっていないのに。

 

それとも立て付けが悪くなったんだろうか、何か強い力に押さえ付けられているように……教室への窓は開かなくなっている。

 

僕「……気持ちはわかるけどさ」

 

僕は後ろを向かずに話し続けた。

 

僕「僕は教室に戻らないと……また昼休みになったら来るからさ」

 

僕「だから、お願い。こんな事しないでよ……」

 

……スッと押さえ付けられていた力が消え、僕は教室に入る事ができた。

 

僕は鍵を閉めないまま、机に戻ろうとしたが……。

 

カチャリ。

 

後ろでは、誰かが鍵を閉めた音が確かに聞こえた。

 

あの鍵は、次に僕が開けるまで……絶対に開かないだろう。

 

ストーブで暖められた部屋なんかよりも……。

 

彼女と一緒に過ごす、少し寒いくらいの空間の方が幸せだと感じたのは、僕も彼女も同じらしかった。

 

僕たちは窓一枚を隔てて、また別の空間で過ごし始めた。

 

……それから何日かは、ベランダで一人言を呟く日が続いた。

 

雨が降らなかったのが一番の理由だ。

 

女「ねえ僕ちゃん、コンビニ寄ってこうよ」

 

僕「ま、また? もうこれで五日間連続だよ?」

 

女「いいの! 今日はピザまんの日だよ!」

 

僕「……た、たまには駄菓子屋さんでいいじゃん」

 

女「私、甘い味とかって苦手だもん。駄菓子屋さんは今度にしようよ」

 

僕「……いつも今度今度って、結局一回も行かないじゃん」

 

女「いいの! 本当にいつか行ってあげるから、今日はピザまん食べよ!」

 

僕「ちぇ~……」

 

雨が降らない、会話ができない、会う事ができない。

 

今月は、最後に会った日以来雨が降っていない。

 

ベランダで話しても、会話は僕の一方通行。

 

そして、女と一緒に中華まんを食べる日々。

 

僕は冬の中で、少しづつ彼女の事を忘れていた。

 

あと三日もすれば、学校は冬休みに入ってしまう。

 

一応、週間天気予報はチェックしていたが雨のマークは見当たらなかった。

 

女「早く行こうよ~」

 

僕「ま、待ってってば」

 

そして、冬休みが始まると僕は彼女に会う事すら考えなくなっていた。

 

僕が彼女の事を思い出したのは、クリスマスが終わって……もう今年が終わりそうになる二日前だった。

 

その日は、朝から雨が降っていた。

 

そこそこ強い雨音が、屋根を叩いていたのを覚えている。

 

今日は彼女に会えるかもしれない、そう思ったが冬休みに学校まで出かけるのは何だか面倒に感じた。

 

僕は、結局お昼くらいまで布団の中で過ごしていた。

 

テレビからは、この雨が夕方までには雪に変わりそうになる事……。

 

もしかしたら記録的な初雪になりそうな事をニュースでやっていたが……布団の中の僕は、そんな事も知らずにただ夢を見ていただけだった。

 

結局、ダラダラと寝過ごして……目が覚めたのは午後の三時を過ぎた辺りだったと思う。

 

両親からの嬉しそうな、雪が降っているぞ、という声で僕は目を覚ました。

 

寝室の窓から、外を見ると真っ白い大きな雪の粒が空から降っているぞ。

 

僕(これが雪なんだ)

 

なぜだかわからないが、僕は無駄に元気になってしまった。

 

雪が降るとワクワクすると聞いていたが、まさにその通りだった。

 

僕(雪がつもったら雪合戦とかできるのかなあ)

 

そんな想像をしていた。

 

僕(この寒さの中……女ちゃんと一緒に肉まん食べたら美味しいんだろうな)

 

どうしても、女の名前が先に出てきてしまう。

 

僕(……校庭も雪だらけかな。さすがに雪じゃあ水溜まりは出来ないから)

 

次に、水の中の彼女が頭を過る。

 

僕(……あれ? 雪って確か)

 

そして最後に、一番大事な記憶が僕の頭に再生された。

 

「雪が降るまで、一緒にいてあげられなくてごめんなさい」

 

僕「ち、ちょっと出かけてきます! 夕方には戻るから!」

 

大急ぎで服を着替え、僕は自転車に乗って学校へ向かった。

 

言葉の意味はわからないけれど、彼女と話す事ができたあの子の言葉だ……。

 

そして、降る事なんてあり得ないと思っていた、この大雪。

 

僕は、彼女に会うために必死で自転車を漕いだ。

 

アスファルトの道路には、うっすらと雪が積もっている。

 

自転車が通ると、タイヤの跡がくっきりと残った。

 

雪道の怖さなんか知らずに……僕はただ小学校に向けて走っていた。

 

閑静な住宅街を抜けて、両脇には田畑が見えるようになる。

 

道は広く、車も通っていない。

 

僕は真っ直ぐに見える道を全力で走った。

 

雪が顔に当たりっぱなしだったけれど……フードを被ってそれをしのいだ。

 

雪は積もっていたけれど、特にスピードが遅くなるわけでもない。

 

一気に小学校までの道を進む。

 

僕(この道を曲がれば、あとは真っ直ぐ……)

 

角を曲がれば、遠目に小学校が見えてくる。

 

でも、僕は雪道で曲がる方法を知らなかった。

 

普段と何も変わらないスピードで道を曲がろうとして……。

 

僕(……!)

 

僕の体は傾いて、アスファルトの路面を滑るように思い切り擦っていった。

 

僕「う、うっ……」

 

車が来ていたら、僕は間違いなく轢かれていただろう。

 

僕「い、いたっ……」

 

右膝と右手を地面に思い切り擦ってしまった。

 

手の先……特に人差し指と中指の辺りからは特に出血しているように見えた。

 

僕(あ、頭、グラグラする)

 

体を打ったせいだろうか、なんだか頭が重く気持ちが悪い。

 

しばらくは立ち上がる事ができず、その場に寝転がっていた。

 

降りかかってくる、雪だけが冷たくて……とても気持ちよかった。

 

僕「……っ」

 

しばらくすると痛みが引いたが、相変わらず頭はガンガンする。

 

それでも行かないと……。

 

僕は自転車を引きずりながら、学校に向かった。

 

いつもならたった数分で到着する道なのに……雪と怪我のせいか、とても長く感じる。

 

体のあらゆる部分が、痛い。

 

僕「つ……ついた」

 

それでもなんとか学校にたどり着くと……今度はその風景に絶望した。

 

雪が完全に校庭を覆っている。

 

ただ真っ白に、土が見えてる部分なんて一ヶ所もない。

 

僕「嘘……」

 

自転車を放り出して、僕は水溜まりのあった場所へ向かった。

 

そこも既に雪で覆われている。

 

僕「……」

 

彼女の声は聞こえなかった。

 

雪の音だけが僕の耳に、しんしんと鳴り響いている。

 

僕「……ごめん」

 

僕は謝りながら、その場所の雪を両手で除け始めた。

 

僕「雨が降ったのに、会いにこれなくてごめんね」

 

右手の指先が、血と雪のせいでパリパリに固まっている。

 

僕の中指と人差し指が、熱を持って離れない。

 

僕「雪なのに、一緒にいられる事ができなくて……」

 

何をすればいいのか、そんな事はわからない。

 

でも、僕には何かができた、今になってそんな気がする。

 

僕「謝るから……だから」

 

僕「いいかげん返事をしてよ……このままバイバイなんて嫌だよ」

 

『……むいよ』

 

僕「!」

 

雪の中から声がする。

 

『さむい……よ……たすけて、ぼく……』

 

その声は確かに彼女の声だった。

 

僕「ねえ、そこにいるの! ねえってば!」

 

『さむい……つめたいよ……こわい……』

 

水溜まりは出来ていないので、彼女の姿は確認する事ができない。

 

僕はただ、必死になって雪を掘り返した。

 

何をすればいいかは、わからなかったけど……。

 

僕「あ……これ」

 

僕は雪の中からピンクのヘアピンを見つけ出した。

 

僕「これはあの子の……」

 

どうして雪の中にこのヘアピンがあったかはわからない。

 

この辺りの地面は何度か探索をしたはずなのに……今になって見つかるなんて。

 

僕(……なんだこれ、暖かい)

 

そのヘアピンを手に取った瞬間、僕は不思議な気持ちになった。

 

うまくは言えないけれど、人に優しくしてもらった瞬間の……あの温もりが、僕の体を走った。

 

『あ……それ、暖かい……』

 

見えない彼女が、反応をした。

 

僕「ほ、本当に?」

 

『うん、なんだか楽になって……寒いのも……』

 

それでも、まだ声が辛そうだ。

 

ここで水溜まりのあった場所に近づけても、効果が薄いのか?

 

僕「それなら……今からそこに行くよ」

 

『え……』

 

僕「これを持って、そこまで行く。すぐだから、待ってて」

 

『……本当にすぐ?』

 

僕「うん、僕を信じて」

 

『……』

 

『わかった、窓の鍵……開けて待ってるからね』

 

遠い遠い、教室までの道が始まった。

 

雪の積もった校庭を、一歩、また一歩進んでいく。

 

相変わらず、雪は僕に容赦なく降り積もってくる。

 

僕「ぐっ……」

 

このヘアピンを持っていると、不思議と体の痛みは和らいだ。

 

玄関前の階段も、なんとか昇る事ができた。

 

僕「あとは、玄関を開けて……教室に入れば」

 

……玄関?

 

僕「あ」

 

正面玄関の前まで来て、僕は気が付いた。

 

いくら彼女が教室の窓を開けてくれていても……この扉が開いていなければ、僕は学校内に入る事はできない。

 

冬休みが始まった直後なら誰か先生もいたかもしれないが……。

 

僕「こんな時じゃあ先生なんているはずないじゃないか……」

 

僕は……その場で泣き出しそうになった。

 

『……待ってるから』

 

雪の静かな音に紛れて、彼女の声が聞こえた……気がした。

 

僕(……そうだよ、約束だもんね)

 

僕は、ヘアピンを握りながら玄関の扉を押してみた。

 

絶対に開いてるはずなんかないと思っていた。

 

しかし、扉は意外にもあっさりと開いた……鍵がかかっていた様子はない。

 

僕(これは……彼女が?)

 

今の僕には、そう信じるしかなかった。

 

ヘアピンを握りしめ、僕は三年生の教室に向かった。

 

約束通り、窓の鍵は開いていた。

 

僕はふらつきながらも、外へ飛び出していく。

 

僕「はぁ、はぁ……来たよ」

 

『……』

 

僕「これ……あげる。ちょっと遅いけど、クリスマスプレゼント」

 

僕「来年は、ちゃんとしたのを買ってくるから、はい……」

 

『……』

 

ヘアピンを、そっと彼女に手渡した。

 

僕「……」

 

『どう、かな? 似合う』

 

僕「うん、綺麗だよ。とても……すて……」

 

『……ありがとう』

 

優しい声と笑顔に包まれながら、僕は彼女に寄り添うように倒れた。

 

衝撃を覚えた瞬間、ふわっと甘い髪の毛の匂いがしたけれど……僕はそれから、気を失ってしまった。

 

僕「……」

 

僕「……ん」

 

「あ、気が付いた僕くん」

 

僕「あれ、ここは……保健室? どうして保健の先生がいるの?」

 

「どうしてじゃないでしょ! 物音がするから教室に行ってみたら、血だらけで倒れてるんだもの……」

 

僕「……?」

 

「私は、ちょっと用事で学校に来ていたの。全く、玄関戸締まりする前に気付いてよかったよ」

 

僕「先生が……玄関を?」

 

「他に誰もいないでしょ? 一応、親御さんに連絡しておいたから。全く、遊ぶのもいいけど無茶はダメですからね!」

 

僕「……はい」

 

僕「ね、ねえ先生」

 

「ん、どうかした僕くん?」

 

思わずヘアピンや彼女の事を聞きそうになってしまった。

 

寝起きで頭が混乱している……僕は慌てて他の話題を探した。

 

僕「あ、あの……え、偉いですよね。もう大晦日なのに学校で働くなんて……は、はい」

 

「……」

 

僕(あ、あれ?)

 

保健室内の空気が、一気に重くなった気がした。

 

僕「せ、先生?」

 

「……ふう。そんな仕事だとか立派なものじゃないのよ。私はただ……」

 

「ただ……」

 

先生の唇が、小さく震えていた。

 

その後、先生は重苦しそうにこんな話を僕にしてくれた。

 

「昔ね、この小学校に通う……ある女の子がいたの。僕くんの一つ下……ううん、死んじゃった時に二年生だったから同い年ね」

 

「その子はね、三年生になる事をとても楽しみにしていたの。どうしてかわかる?」

 

「……そう、教室が一階から二階に変わるでしょ。彼女、二階からの眺めに憧れていたみたいでね、それだけで文集とか書いちゃう子だったのよ」

 

「冬休みに入って、本当に今くらいの時期かしらね。その子が学校に忘れ物を取りに来たの」

 

『せんせ~』

 

「あら、どうしたのこんな時間に」

 

『フデバコ忘れちゃった~』

 

「あらあら、えっとじゃあ一緒に探してあげるわよ。二年生の教室よね?」

 

『わ~い、ありがとうせんせ~!』

 

僕「……」

 

「無邪気で、可愛い女の子だったわ」

 

「忘れ物を見つけて、その子を帰そうとした時……突然その子が言い出したの」

 

『二階の教室から、お外を見たい』

 

って……。

 

「その子が二階を好きなのは知っていたから、一緒に階段を上がって……教室のベランダに連れていったの」

 

『うわあ~』

 

『すごいよ! 雪がたくさんたくさんふってるよ!』

 

「あんまりはしゃいじゃ危ないわよ、はい、おしまい」

 

『ええ~、もっともっと見たいもん~!』

 

「……あのね、この冬休みが終わったら、学校もあと少しで終わるでしょ?」

 

『うん、終わり~』

 

「その学校がまた始まったら……今度はこの教室でお勉強できるんだよ?」

 

『!』

 

『そっか~、そうだよね』

 

『私、早く学校終わらせて三年生になるもん』

 

僕「……」

 

「彼女、とても嬉しそうに雪景色を見ていたの。赤い筆箱を持って、楽しそうに校庭を走って行ったの」

 

「……その五分後にね、学校に電話が掛かってきたの。」

 

「おたくの学校の生徒さんが車にはねられた、って」

 

……。

 

「すぐに現場に向かったわ、あそこの……ほら、あの十字路。ここから見えるでしょう」

 

「……雪でタイヤがスリップしての事故ですって」

 

「普段は雪なんて降らないから……ううん、だからこそタイヤ交換を怠ったんでしょうね」

 

「……現場は酷い物だったわ」

 

『……え……せんせ……』

 

「まだ息はあったけど、半端に医療の知識があるから……私にはわかったの。この子はもう助からないって」

 

「でも、私は……」

 

「大丈夫だから、絶対よくなるから。治ったら……一緒にベランダでお外見ようね」

 

『…………』

 

「冬が終わったら、すぐに暖かくなるから……梅や桜が咲いて、一緒にお花見して……」

 

『……』

 

「だから……だから……」

 

『……』

 

「ほら、筆箱、また忘れてるよ。もう……そんなんじゃ立派な三年生……に……」

 

『……』

 

「先生、もうその辺で……眠らせてあげましょうよ……」

 

「っ! まだ心臓は動いてるじゃない! ちょっと意識が無いだけで……話していればすぐに回復するわよ!」

 

「ですが、もう体が……先生ならそれもわかるでしょう……」

 

「……」

 

『……ぁ』

 

「!」

 

『せん……』

 

「わかる!? 大丈夫だからね! 早く元気になって、一緒にお外……」

 

『……』

 

小さく口をニ、三回パクパクと動かすと……そのまま女の子は眠った。

 

もう少女が笑顔を見せる事はなかった。

 

僕「……」

 

「この学校に再び勤務するようになって……そしたらまた珍しく雪なんて降るから」

 

「何か嫌な予感がして学校に待機していたら、僕くんが血だらけで倒れていたってわけ」

 

僕「……」

 

「さすがに帰り、自転車じゃ危ないから送っていくわ。タイヤもちゃんと変えてあるから、安心して」

 

僕「あ、あの……その女の子は」

 

「ん?」

 

僕「……いえ、なんでもありません」

 

「そう? じゃあもう帰る? 連絡はしたけど、遅くなると心配させちゃうでしょ」

 

僕「あ、その……」

 

僕「少しだけ、待っていてくれませんか」

 

『……』

 

ガラッ。

 

『ん……』

 

僕「……」

 

『あ……怪我、大丈夫?』

 

僕「うん、大丈夫」

 

『そっか、帰らないの?』

 

僕「お話したら、帰るよ。先生を待たせてるからね」

 

『ふふっ、あの先生はワガママ聞いてくれるから大丈夫だよ』

 

僕「……うん」

 

『ワガママは聞いても、絶対にお家まで送り届けると思うけどね』

 

僕「それも、わかるよ」

 

『うん……』

 

「……」

 

『今日雪が降った瞬間さ』

 

僕「うん」

 

『嬉しいはずなのに、同時にとても怖くなって……体が冷たくなったの』

 

『昔と一緒だった』

 

僕「……」

 

『でも、僕ちゃんの声が聞こえて、このヘアピンから温もりをもらって……』

 

『私、大丈夫だったよ。まだ元気に……ここにいられるよ』

 

僕「うん……」

 

『冬休みが終わったら、たくさんお話しようね。私、ずっとここにいるから』

 

僕「うん、約束」

 

『えへへっ……絶対の約束だよ』

 

……。

 

「自転車はまた晴れた時に学校に取りに来なさい」

 

僕「は~い。あ、ねえ先生」

 

「はい?」

 

僕「先生も、ヘアピンとかするの? 例えばピンク色の……」

 

「先生、ちょっと癖っ毛だからそういうのはあまりしないのよ。どうして?」

 

僕「な、なんでもないです」

 

「……変な僕くん」

 

彼女は言っていた、いつかこのヘアピンを残してくれた子に会ってお礼がしたいと。

 

お世話になった先生に何か関係があるのでは、という僕の推理は外れ、僕はこのまま家に帰っていった。

 

小学校のベランダでは……彼女が一人で楽しそうに雪に染まった校庭を見つめていた。

 

あれから、冬が終わって春が来て。

 

また冬が終わって……僕たちはもう六年生になっていた。

 

僕は相変わらず、雨の日は水溜まりに向かい彼女と校庭で話していた。

 

教室が変わる度に、いい位置の水溜まりを見つけるのに苦労したが……今ではもう慣れたものだ。

 

『あははっ、今日も楽しかったよ』

 

「うん、じゃあまた……」

 

ヘアピンのおかげで、彼女とは常に話せるようにはなっていたみたいだけど……僕も彼女も、あえて今のままで会話をする事にしていた。

 

ベランダで二人並んで、景色を見れればいい。

 

僕たちはそれで幸せだった。

 

春の暖かい空気、夏に吹く涼しい風……。

 

秋の落ち葉の豊かな匂い、そして冬の冷たい空。

 

一緒に四季を感じて、雨が降ったらたまにお話をする。

 

僕と彼女はそんなスタイルに満足していた。

 

……。

 

『もうすぐ、卒業だね』

 

しかし、そんな時間もあと少しで終わってしまうんだ。

 

『僕ちゃんがいないと寂しくなるな~……』

 

僕「また誰かに話しかければいいじゃない」

 

『……また一からスタートもな~。あ、中学校にあがっても会えるかな?』

 

僕「……さあ、中学校はこことは正反対だからね。時間だって出来るかわからないし」

 

『そっか、そうだよね。でも、私一人でも大丈夫だもん、このヘアピンと……hellip;僕ちゃんに貰った』

 

僕「……あれ、僕ヘアピン以外に何かあげてたっけ?」

 

『ふふっ、内緒』

 

僕「なんだよそれ~」

 

『卒業までにはちゃんと教えるよ』

 

僕「……うん、待ってる」

 

『えへへっ、楽しみに待ってるもん』

 

僕「結局、その言葉使いも直らなかったよね。子供みたい」

 

『う~、だって成長しないんだから仕方ないじゃない……僕ちゃんはいいよね。身長も大きくなったしさ』

 

僕「別に変わらないでいいんだよ。そのままで……十分……」

 

『十分、なに?』

 

僕「じ、十分……な、なんでもない!」

 

『もう、そればっか』

 

僕「いいの! じ、じゃあまたね! バイバイ!」

 

そして、とうとう卒業式の日を迎えた。

 

当日は朝から大雨だったが、僕たちの式が終わる頃には今までの天気が嘘のように、空が晴れた。

 

校庭は水溜まりでたくさんだったけど……その水溜まりには太陽が映り込んでいて、とても綺麗な水溜まりだったのを覚えている。

 

式が終わり、帰る前に……僕は両親に時間をもらって彼女の元へ行った。

 

校庭の水溜まりで話したかったけれど、さすがに卒業生で溢れていたので……今日だけはベランダで直接話す事にした。

 

僕は一人、静かな廊下を走っていた。

 

『卒業、おめでとう』

 

教室の扉を開けると、中には……真っ赤なワンピースドレスを着た彼女が立っていた。

 

『ふふっ、可愛いでしょ、これ』

 

僕「……」

 

『そんなに見とれちゃう?』

 

僕「う、うん。お姫様みたい」

 

『えへへ、ありがとう。実はこれね……僕ちゃんからもらった洋服なんだよ』

 

僕「え、これが?」

 

『うん、覚えはないだろうけど……本当。この赤はね……ほら、私を雪の中から助けてくれた時があったでしょ』

 

僕「う、うん」

 

『あの時の血がね、私の体にかかったの。寒かったから……血がかかった所がとても暖かくて』

 

『生きている証だからさ……生を貰った、って言うのかな。私、とっても嬉しかった』

 

僕「そ、その洋服はどうやって?」

 

『ふふっ、これも血だよ。液体のやつとは違うけどね……何て言うのかな、気持ちとか情熱とか、そういうのが赤くなって表れてるの』

 

僕「……あの時は、助けるのに必死だったから」

 

『うん、そういう気持ちなんだと思うよ。このドレス、すごく暖かいもん』

 

僕「そう、なんだ。なんだか恥ずかしいな」

 

『……あ、また赤く暖かくなる』

 

僕「え?」

 

『ふふっ、何でもないよ。じゃあ、そろそろお別れだね』

 

僕「……」

 

『僕ちゃんと知り合えてよかったよ。私は一人じゃないって思えたから……』

 

『会いたくなったら、いつでも会いにきてね。私はずっと、ここから動かないから』

 

僕「う、うん……ぐすっ」

 

『ほら、男の子なんだから泣かないで。涙拭いてあげるから』

 

僕「うん……うん……」

 

『はい、じゃあ最後に卒業記念』

 

『ん……』

 

チュ。

 

僕「!」

 

『えへへ~、初めて初めて』

 

僕「え、えっと、あの……」

 

『……』

 

『じゃあ、またね』

 

僕「……いつになるかわからないけどさ」

 

『……うん』

 

僕「もう一度、絶対また会いに来るから」

 

『うん……約束だよ』

 

僕「約束する」

 

『ふふっ、じゃあもう一度だけ……約束の』

 

『ん……』

 

チュ。

 

『さよなら、また会いましょう』

 

私はその挨拶を最後に、彼と離れた。

 

ベランダに出て、私はそっとヘアピンを外した。

 

……彼が校庭を駆けている。

 

目線は私のいるベランダに向けて、少し不思議そうな顔をしている。

 

しかし、すぐに何かに気付くと……私を見る事が出来る水溜まりを向かって走り出した。

 

太陽が水面に反射して……私の顔はよく向こうに見えているようだ。

 

私を見つけて、彼はニッコリ。

 

私もそんな笑顔を見つけて……うっすらと涙を流した。

 

ドレスの赤は、これ以上にないくらい熱く暖かくなっている。

 

そして……。

 

彼が最後に大きく手を振ると、私の最愛の男の子はどこか遠く、道の向こうへ消えてしまいました。

 

私が小学校にいる間、誰かと話したのは……これが最後になります。

 

私はずっと、ベランダの向こうの水溜まりを見つめています。

 

僕「……ふう、これで必要な書類は全部書いたな」

 

僕「荷物チェックも終わったし、あとは寝るだけだ」

 

僕「……久しぶりだな、地元に帰るのも。まあたった二年くらいしか離れてないんだけどさ」

 

僕「……」

 

あれから僕は、中学、高校を卒業し大学生になった。

 

大学では教師になるための学科を積極的にとっている。

 

理由は特に無いけれど、僕はあの学校の雰囲気が好きなんだという事に最近気付いた。

 

地元の小学校で教育実習する事になり……最近里帰りもしていない僕にとってはいい機会となった。

 

そして何より……。

 

僕(小学校には、彼女がいる……)

 

僕「こんにちは! 教育実習の……」

 

久しぶりの小学校、校舎全体の雰囲気は変わっていなかったが、内装はかなり変更されているようだった。

 

新しい名前の教室が増えたり、増改築でパソコンルームが導入されていたりと……昔の僕のが通っていた小学校とは何だか違う印象を受ける。

 

それでも、教室の造りや体育館の様子などは変わりようもなく……僕は当時の様子を思い出しながら実習に励んでいた。

 

そして、一週間も経ったある日の事。

 

僕は背中から声をかけられた。

 

「あ、先生、もう学校の仕事には慣れましたか?」

 

僕「あ、は、はい。え~っと……まあまあですね」

 

「ふふ、同じ実習生として頑張りましょうね」

 

僕「は、はい!」

 

この人は、僕と同じ時期に実習に入った人だったか。

 

僕より年上で、大人っぽい魅力のある女性だった。

 

そんな人がいきなり僕に声をかけてきた、まあ仕事仲間なので当たり前といえば当たり前なのだが。

 

廊下で彼女と雑談をしていると……横を通る生徒からこんな話が聞こえてきた。

 

「ねえ、トイレの花子さんの噂って知ってる?」

 

「ええ~、七不思議とか知ると呪われるからやめてよ~……」

 

「じゃあ、放送室に閉じ込められるって噂の……」

 

「懐かしいですよね、ああいうお話って」

 

僕「そうですね。僕も昔はよく……」

 

「あら、私もです。そういう話は好きだったのでよく話していましたね。おかげで、見たく無いものまで見えるようになったり……」

 

僕「え、先生霊感があるんですか?」

 

「はい、霊と会話したり見つけたり……それくらいはできますよ」

 

僕「そう……なんですか」

 

「ふふっ、先生も見えたりするんですか?」

 

彼女の思い出が、一気によみがえってくる。

 

僕「は、ははっ。僕は見えるというより見せられてたようなもので……」

 

「どういう事ですか?」

 

僕「い、いやあ。霊感のある先生にならお話しますけどね。実はある女の子の霊と会話していたんですよ」

 

「へえ……」

 

僕「あ、雨の降った日にね、校庭に水溜まりができると……そこに彼女はいるんですよ」

 

「まあ、そうなんですか」

 

僕「ええ、不思議なアイテムを付けてからはずっと彼女が見えるようになったんですが……なんともですね」

 

「アイテムだなんて、まるでゲームみたいですね」

 

僕「ええ、僕も不思議だったんですけどね……雪の中を掘ってたらいきなり見つけちゃいまして」

 

「まあ……」

 

僕「それでですね、その見つけたアイテムって言うのがですね……」

 

「ふふっ、知ってますよ。ピンクの……ヘアピンでしょう?」

 

僕「!」

 

「……よかったわね、先生はちゃんと覚えてくれてたわよ」

 

『うん……ありがとう、僕ちゃん……』

 

僕「あ!」

 

久しぶりに会った彼女は、どこか疲れた様子で女先生の後ろに現れた。

 

少しだけ……顔色が悪くなったような気がした。

 

僕「ひ、久しぶりだな。少し探したけれど……見つからなかったから。心配したぞ」

 

「……この子はずっと隠れていたんですよ。誰かに会っても悪さをしないように」

 

『……』

 

僕「え……」

 

彼女が、悪さを?

 

僕「そ、そんな事言ったってこの子は悪さをするような子じゃあ……」

 

『僕ちゃん、もういい……もういいんだよ』

 

僕「何言ってるんだよ、こうしてまた会えたんだから。一緒にベランダにでも出て……」

 

「先生。一週間後の放課後、三年生の教室に来て下さい。お願いしますね」

 

僕「一週間後って、それは実習期間が終わる日じゃないですか!」

 

「では、失礼します」

 

『……』

 

僕「あ、ち、ちょっと!」

 

結局、それから女先生は何も話してくれなくなり、彼女もどこかへ消えてしまった。

 

そして、何も状況が変わらないまま一週間が過ぎた。

 

……教室には既に二人の姿があった。

 

僕「……」

 

「来てくれたんですね」

 

『……』

 

僕「どういう事か、説明してくれませんか。これじゃあ彼女が可愛そうですよ」

 

「……残念ですけど、彼女には限界が近付いています」

 

僕「!」

 

「わかりやすく言いますと、もう精神が持たないんです。このままの状態で放っておけば、もっと強力な地縛霊になってしまいます……」

 

僕「……治す方法はないんですか」

 

「もう手遅れです。彼女にとって三十年近い孤独は辛すぎたんでしょう、むしろよく持ったと言う……」

 

僕「じゃあ、孤独じゃなければいいんでしょう。僕がまた、昔みたいに毎日一緒に……」

 

「だから……もう手遅れなんですよ。あなたにはこの辛そうな顔が見えないんですか」

 

『……えへへっ』

 

僕「……」

 

僕「無理に、笑わないの」

 

『あ、あれっ。おかしいな……これで騙せてた時あったのに……やっぱり大人になっちゃったんだね、えへへっ』

 

僕「だから……無理して笑うなよ!

 

『……!』」

 

「このっ……大馬鹿野郎!」

 

ピシィィン、と……教室に頬と手のひらが強烈にぶつかる音がした。

 

本気で彼女は僕を殴ったのだ。

 

僕「……」

 

「この子は……あなたのためだけにこうして笑っているんですよ。それもわからないで、何が無理して笑うなですか!」

 

「私のヘアピンを紡いでくれた人だから、どんな人かと思ってみれば……こんな自己中男だったなんて!」

 

僕「……」

 

『先生……違う』

 

僕(本当の事は、言わなくていいから……)

 

「……離しなさい。この人にはもう喋る事は何もありませんから、帰ってもらい……」

 

『違う、違う、違うよ……僕ちゃんは怒ったんじゃないよ』

 

僕(そんな風に言われたら)

 

僕「……ぐっ、ぐすっ……」

 

「な、なんで怒って泣くの」

 

『違うよ……。ちょっと意地っ張りで、素直に心配が言えなくて……でもすごく私の事を気にしてくれた』

 

『だから、僕ちゃんは今泣いてるんだよ……』

 

僕「ごめん……ね……」

 

僕は、いつかの雪の日みたいに謝っていた。

 

あの日より、もっと大きな後悔が僕の胸を満たしていた。

 

『ううん、私はそういう存在ざもん。いつかは必ず……ダメになっちゃうから』

 

僕「ぐっ……で、でもっ……」

 

『いいんだよ、言ったでしょ。私は幸せだったもん。たくさん僕ちゃんとお話して、ベランダからお外を見て……だから私は今まで大丈夫だったんだよ』

 

僕「ぼくが……いればっ……もっ、と、ぐすっ、大丈夫に……」

 

『……それじゃあダメだよ』

 

僕「ダメな事……なんてっ……!」

 

『ダメだよ。私と一緒にいたら……僕ちゃん先生になれないもん。だから、私はこれでいいんだよ』

 

僕「でも、でも……」

 

『そんな、子供みたいに泣かないで……私だって……私だって……』

 

僕「……ふ、ふふっ、泣くの飽きたなんてう、嘘ばっか」

 

『無理して、笑っちゃダメ……辛そうな僕ちゃん、見たくないよ……』

 

彼女がそんな事を言うから、僕はまた大きく泣いてしまった。

 

涙で呼吸が出来なくなる感覚を……僕は何年か振りに体験する事になった。

 

窓の外では、そろそろ夕日が山の向こうに消えようとしていた。

 

「……」

 

『ありがとう先生、もう大丈夫ですから』

 

僕「……お願いします」

 

「その前に、謝らせてね。何もわかっていなかったのは私の方だったわね……本当にごめんなさい」

 

僕「いえ、そんな」

 

『ふふっ、大丈夫ですよ』

 

「……ねえ先生、どうして私が彼女に直接ヘアピンを渡さなかったか、わかりますか?」

 

僕「え?」

 

「私と彼女がお別れする際に、私は校庭にヘアピンを置いていきました、それは知ってますよね」

 

僕「ええ、それはわかりますよ。なんでそんな周りくどい事を……」

 

「率直に言うと、彼女に刺激を与えすぎて欲しくなかったんです」

 

「ヘアピンの力で、誰かと接触して会話をするようになって……それが悪い方向に働くのが怖かったんです」

 

「気持ちは敏感ですから……ちょっとした事で何が起こるかわかりませんから、ね」

 

僕「……確かに、僕は出入口の鍵を閉められたくらいで済みましたが」

 

「運やタイミングが悪ければ……という話です。でも、先生みたいな人がヘアピンを見つけてくれて本当によかったですよ」

 

「本当にありがとうございました」

 

『私からも、ありがとう。僕ちゃん』

 

僕「……」

 

僕「ああ、どういたしまして」

 

『ふふふっ』

 

「……さて、ではそろそろ」

 

僕「……はい」

 

『はい』

 

『あ、あの先生。このヘアピン、貰ってもいいですか』

 

「……いいわ、好きにしなさい」

 

『ふふっ、ありがとうございます』

 

「もう、いいかしら。先生も何かありますか?」

 

僕「今まで、ありがとう……」

 

『えへへっ……うん、ありがとう』

 

彼女の顔が、名残惜しそうな笑顔を作った。

 

「じゃあ……いきます」

 

女先生が、彼女の額に手をあてた。

 

すると……体が一瞬だけ白く光り出した。

 

僕(これで……お別れか)

 

『……まだ』

 

僕(……?)

 

『ま、だ……最後に……』

 

僕「な……なあ……」

 

『?』

 

光の中の彼女は、涼しそうな顔で僕を見ている。

 

おかしい、さっき聞こえた彼女の声は気のせいだろうか。

 

『……えへへっ』

 

彼女は、光ながらも僕に優しく微笑んだ。

 

僕(なんだ、やっぱり聞き間違え……)

 

『やだ……まだ、最後に』

 

僕(聞き間違え……なんかじゃない)

 

『まだ最後に……一番……』

 

ここまでは聞こえる。

 

でも、これ以上は……彼女の顔を見ても何もわからない。

 

ただ僕に向かって、微笑んでいるだけだ。

 

僕(違う……わかっているのに)

 

あの笑顔が本当の笑顔では無いことを、僕はわかってしまっている。

 

だからこそ、どうして彼女の本音を知りたかった。

 

僕(彼女はいつもそうだ……)

 

僕(遠くのベランダから僕を見つけて。僕も校庭の水溜まりから彼女を見つけて……)

 

僕(……水溜まり?)

 

僕は、先ほどまで僕たち二人が座り込んでいた床を見つめた。

 

そこにはうっすらと……二人の涙が床に膜を作っているようだった。

 

僕(あ……見つけた)

 

『うん……』

 

その水溜まりの中の彼女は……僕に向かって、こう言っていた。

 

『最後に……一番言って欲しかった事。私の事を……』

 

僕「ああ……好きだよ、大好きだ」

 

『ありがとう……僕ちゃん』

 

水溜まりの中の彼女も、教室にいた彼女も……白い光に包まれて、ゆっくりと消えていった。

 

もう彼女の姿は、どこにも見えなかった。

 

「……ふう、これで彼女は大丈夫ですよ。成仏して、もしかしたらまた私たちの前に……」

 

僕「ああ、先生。すいませんけど一人にしてください。鍵は僕が閉めていきますので」

 

先生の言葉を遮り、僕は一人ベランダに出ていった。

 

後ろで、小さく彼女がお辞儀したのが見えた。

 

僕は……まだ沈まない夕焼けが照らす、小学校の校庭を見つめていた。

 

彼女は、ずっと一人でこの光景を見ていたんだろう。

 

三十年近くも、一人で。

 

僕「……」

 

僕は、ベランダと教室の戸締まりを済ませ、何も言えないまま教室を後にした。

 

実習期間が終わった僕たちは、それぞれの大学に戻って行った。

 

縁があればまた会える、と女先生は僕の前から消えてしまった。

 

あれから先生には会っていない。

 

そして僕はというと、めでたく地元の小学校に教員として就職する事が出来た。

 

故郷に戻り、一番にお祝いに駆けつけてくれたのは女と大将だった。

 

女も大将も、地元の大学に通い就職活動をしていたようで……。

 

正直、小学校時代に僕をいじめていた大将がお祝いしてくれたのは少し意外だったが……まあ、みんな大人になったという事だろう。

 

女も女で、僕が地元に帰ると連絡した時とても喜んでくれていた。

 

女「こっちに来たら、駄菓子屋に付き合ってあげてもいいわよ?」

 

僕「……甘いのは苦手じゃなかったの」

 

女「ふふっ、甘くない駄菓子を買えばいい事に気付いたのよ。あ、あとは中華まんも忘れないでね。新発売のフカヒレまんがね……」

 

地元に帰ってからも、僕と彼女の付き合いは続きそうだ。

 

空いた時間を埋めるように、周りの人間と付き合っていけたらいいな、と僕は思った。

 

そしてなにより……。

 

もう一度、彼女がいた小学校へ。

 

僕「え~、皆さん初めまして。今日から三年生のクラスを担当する事になりました……」

 

始めての請け負いが、あの教室になった。

 

最初はちょっと戸惑ったが、元気な子供たちに囲まれて仕事をしていると……少しだけ色んな物が紛れる気がした。

 

僕は、このクラスをいいクラスにしようと必死で努力をした。

 

生活や授業態度はもちろん、提出物やイジメ問題まで。

 

もちろん、ただ口うるさく言うのではなく、子供たちに理解してもらおうと……色んな方法を試していた。

 

初めは失敗も多かったが、徐々にクラスのみんなも僕を信頼してくれるようになり……。

 

僕は問題の一つ一つを順調に片付けていった……のだが。

 

ある時、クラスの輪から外れている女の子がいる、というのを生徒から教えてもらった。

 

ずっと大人しく、あまり目立たないタイプの子だっただけに……僕も生徒に言われるまで、その問題に気付かなかった。

 

彼女は、時間があればいつもベランダに出ては……遠くばかりを見つめていた。

 

クラスの活動には参加しているものの、休み時間までずっとあれじゃなあ、さすがに寂しいんじゃないかと僕は感じた。

 

ある日、放課後の会議を終えて教室に戻ると……例の女の子がまたベランダに出て外を見ていた。

 

いい機会だ、僕は彼女と話をしてみる事にした。

 

「……」

 

僕「やっ。えっと、何を見てるのかな」

 

「……お外」

 

僕「そっか、何か面白い物見える?」

 

「うん、楽しいよ。こうやって、先生と一緒にお外を見られるんだもん」

 

なんだ結構、素直な子じゃないか。

 

クラスの輪に入れないなんて言うからどんな子かと思えば……。

 

「くすっ」

 

髪の毛の横を、ヘアピンでシンプルにまとめている。

 

顔立ちも可愛くて……間違いなくモテるタイプだ。

 

僕はもう少し話を聞いてみる事にした。

 

僕「はははっ、先生の事が好きかな」

 

「うんっ、好きだよ。大好きっ」

 

僕「あはは、ありがとうね」

 

子供にはありがちな、憧れの心理というものだろう。

 

僕はそこから更に話を広げてみた。

 

僕「ねえ、お外を見る以外に、何か好きな事はあるかな? 本を読んだりなわとびしたり……」

 

「私、七不思議のお話をするのが好き」

 

僕「七不思議、か。珍しいね、クラスのみんなはゲームとかサッカーとか……そういう話はもうあまり流行してないと思ったけど」

 

「私は好きよ、例えばね……美術室には床が血だらけになってる場所があるの」

 

僕「ああ、あれはただのペンキか絵の具が固まっただけだよ。血でもなんでもなかったよ」

 

「あ、調べたんだ?」

 

僕「昔、僕も子供だった時にね。懐かしいなあ、放課後の学校を走り回ったもんさ」

 

「ふ~ん……じゃあ、家庭科室の消える包丁は?」

 

僕「家庭科の先生に聞いたら、最初から一本だけケースに入ってなかったって。業者のミスみたいだったよ」

 

「……まあ、小学校の噂なんてそんな物だよね」

 

僕「あ、でも僕はこんな話を知っているよ。実はね、水溜まりに映る少女の事なんだけど……」

 

会話が弾んだのが嬉しくて、僕はつい彼女の事を話し出してしまった。

 

これは僕が知っている不思議の中でも、一番大切な思い出だ。

 

「……へえ」

 

僕「不思議だろ。とっておきで、一番のお話さ」

 

「……本当に、不思議だね。じゃあ私もとっておきのお話してあげる」

 

「あのね、ある教室に青い筆箱を忘れた男がいたの。その子の名前は……仮に先生って事にするね」

 

僕「う、うん?」

 

「さっきまで遊んでいたお友達に置いてかれたので、その子はとてもビクビクしながら、校の中を歩いていたのでした……おしまい」

 

僕「え? え?」

 

「ぷっ、く……ふふっ、まだ気付かないの……」

 

僕「え? あ……」

 

「このヘアピン見せた時なんて、大ヒントだったのに~。もう……相変わらず鈍いんだ」

 

僕「いや、だって……まさか」

 

「そっか~、私とのお話が一番の思い出なんだ、ふ~ん」

 

僕「そ、そんなにニコニコした顔、今まで見たことないぞ」

 

「ふふっ、私って今は小学三年生だもん。嬉しいから笑えるんだもん」

 

僕「……」

 

「それに、この前大好きって言われちゃったし……さっきだって、私の事……」

 

僕「……まったく」

 

「ふふっ、大人になっても変わらないね。私を助けてくれた時と」

 

ああ、僕はようやく気が付いた。

 

彼女はまた、小学三年生になったのだ。

 

幽霊なんかじゃない、今度はちゃんとした……自分の体で。

 

「……あ、雨降りそうだよ」

 

僕「……帰るなら送ってくよ」

 

「本当に? ありがとう、先生大好き~」

 

僕「こ、こら。変にベタベタしないの」

 

「本気でそう思ってる? あ、水溜まりで覗けば、先生の本音わかっちゃうかも……」

 

僕「僕はいつでも正直だから、そんな必要ないよ」

 

「……ふふっ、意地っ張り」

 

僕「か、帰るなら早くしなよ! 置いてくよ!」

 

「置いてくつもりなんて、ないくせに」

 

……ああ、彼女にはやっぱり全部お見通しらしい。

 

「私も、ちょっとからかい過ぎちゃったかも。謝るから……一緒に帰ろう?」

 

僕「……うん」

 

彼女の前では、僕は子供のまま……当時の小学三年生に戻ってしまう。

 

「ふふっ、一緒に行こうね」

 

僕はこれから、心の何処かが彼女と同じペースで成長していく……そんな気がした。

 

優しく握った、彼女の小さな左手からは確かに血の流れる音と暖かさを感じた。

 

「あ……ねえ。やっぱり先生じゃなくてさ」

 

僕「?」

 

「昔みたいに……呼んでもいいかな?」

 

僕「……」

 

「ダメ?」

 

僕「他の人がいるときは、絶対ダメ」

 

「うん、わかった。じゃあ……」

 

僕「うん……」

 

雨が降りだした。

 

僕たちは一つの傘に身を寄せて、水溜まりのできた校庭を歩いている。

 

もう、その水面に誰かが映る事はない。

 

僕らは手を繋いで、外の向こうだけを見つめ……歩いていた。

 

「ふふっ」

 

「ただいま、僕ちゃん」

 

雨はまだ、僕たちの足元に水溜まりを作っている。

 

 

 

引用元:http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1293072495/

 


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